たまねぎの旅日記

現実から逃げるために旅するんじゃないよ、現実と向き合うために旅をするんだよ

たまねぎのひとりごと

ずっと考えてることを書く

私は子どもが欲しくない。欲しいと思っていた時期もあったけど、今はそうではない。なぜこのように変化したのだろうか?

最近、ある芸能人が「子どもを産むことに"前向きに"なった」というネット記事を書いていた。自分のことを受け入れることができたから、子どもを持とうと思えるようになったという。その後彼女は結婚を発表した。正直予想通りである。なぜなら"前向きに"という言葉を使っているからだ。このようなポジティブな言葉は、自分の精神が安定もしくは幸せな状態にある時に出てくるものだろう。きっと人生の幸福の絶頂にいるのだろうと容易に想像できた。

このネット記事を読んだとき、前半部分は共感できた。しかし後半の子どもを産みたいと思うようになった辺りから腑に落ちないというか違和感しかないというか。それは彼女が出した結論が私とは反対であり、そして彼女の選択こそが正であるように書いているからである。そう、"前向きに"が暗に子どもを産むことが正しく素晴らしい選択であるかのように感じさせるのだ。

「全ての女の幸福は子を産むことだ。そう思わない女は悪だ」
世界中でそのような考えは未だ根強いのではないか?(世が世なら、私は魔女狩りに遭い、生きたまま焼き殺されていたかもしれないな。)
そしてこの考えが、子どもを産まない人生を選んだ女性を、自身もしくはパートナーの問題で子が産めない女性をチクチクと襲う罪悪感に繋がってるのではないか。産まなきゃいけない世の中で自分は産まない(産めない)。誰も咎める権利は無いのに「子ども作ればいいのに」とか言ってくるのも、言われなくても何度もその考えを口にしたりSNSで書いたりするのも、子どもを産んだ人も産まない人も、そして男性も、「女は子どもを産むもの、それこそが最上級の幸せ」と刷り込まれてるからではないだろうか。

斯く言う私も刷り込まれていた人間である。いずれ結婚して子どもを産むのだろうなと漠然と思っていた。小さい頃は憧れてもいた。
ところが中学辺りから男性嫌いになり結婚は無理だと思った。しかし子どもが欲しいという気持ちはあった。
大学生になってからパートナーができた。最初は突き動かされるように彼の子どもが欲しいと思った。

なぜ子どもが欲しいと思ったのだろう。
今考えると、高校の頃の「子どもが欲しい」は一緒に生きていく人が欲しかったからだと思う。パートナーに求めることを子どもに求めようとしていたのである。この子の為に生きる、というような使命感が欲しい気持ちと男が嫌いでも子を産み育てることができることを証明したいという承認欲求が混ぜ合わさっていたのだろう。このままだととんだ毒親になったに違いない。
そして大学生の時は、パートナーとの関係がまだ不安定だったとき、もしくは不安定に感じた時に強く思ったのだ。つまり、「子はかすがい」ということだ。パートナーを繋ぎ止めるための道具にしようとしていたのだ。とんだ毒親である。


このような毒親候補だった私が今、子どもを欲しくないと思う理由は以下の通りである。


①やりたいことが多い

私は趣味が多い。語学学習や絵や小説といった創作、旅。他にもゲームや、最近は釣りやバイクにも興味がある。趣味というのはお金と時間がかかる。参考書、資料書にお金がかかるし旅なんて貧乏旅をしても万単位でかかる(貧乏旅だ、とか言って距離や日程を伸ばして結局万単位になってしまっている)。釣りやバイクは初期費用も大きいだろうし、維持費もかかってくる。仮に子どもがいると、世話に時間がかかることは想像できるし、大学まで出るとしたら2000万とかかかると聞く。趣味に回す時間とお金がなくなってしまうではないか。

そして趣味を楽しめなくなるだろう。語学学習や創作は集中できる空間が欲しいし、旅はアルバイトで子連れに応対してきた経験上、心から楽しめないだろうなと思った。私は幼児期から連れていってもらっていたが、親曰く大人しい性質だったからだそうだ。もちろん躾でなんとかなる部分もあるだろうが、旅なんていうはじめての場所に行くイベントで普段通りの落ち着きでいられる幼児などいるのだろうか?レストランでも食い散らかし座席を汚し、残飯大量生産していく子連れを見た。幼児だから仕方ないと思うし、だからこそ私は絶対連れていけないな、と思った。笑顔で対応するものの、本心は大迷惑である。何より片付ける時の料理と唾液が混ざったあの臭いが不快だ。嗅覚が敏感というのもあるかもしれないが、とにかく「生理的に無理」なのである。そして泣き声も嫌いである。単純に五月蝿い。

話は逸れたが、要は趣味の時間とそれに使う費用を吸いとられるのが嫌なのである。すでに楽しむスタイルを確立したのにそこに新たな人間を入れたくないのである。


②仕事がしたい

まだ働いていないから将来的に「仕事なんて出世なんてどうでもいいよ!」になるかもしれない。しかし今はちゃんと働きたい。父親が自身と同じ学歴をつけさせたいからという意向はあったものの、大学院修士まで進むのは自分で決めたことだ。そしてそれはこれからの人生、しっかり働き自分で自分を養うためでもある。パートナーとはいえ生殺与奪の権は与えたくない。というか自分の足で立てる者同士でないと対等な関係は築きづらいだろう。実家が太いとか資産がたくさんあるとか、資格持ちでいつでもどこでも働くことができるとか、そういう自分を守る後ろ楯がない限り専業主婦になるものではないと考えてる。20そこそこの小娘からしたらその後ろ楯のない専業主婦は奴隷にしか見えないのだよ。

なお、「私は飼い猫みたいな専業主婦だから」のようなtweetも見かけたことがあるが、猫だって生殺与奪の権は飼い主が握っているのではないか。溺愛しているから生かすのであって、愛せなくなったら捨てたり処分したに違いない。そんなご主人次第でどうとでもなるのがペットだ。私は嫌だね。



③男が嫌い

単純に男が嫌い。弟と父親も弟と父親として愛しているが、これが他人だったら多分嫌いだっただろう。
男嫌いの理由は様々あるが、そんな嫌いな属性の人間をわざわざ産みたくはない。十月十日も腹に入れていたくないし育てたくもない。しかもこの「はずれ」を引くのは1/2の確率だ。とんでもないギャンブルだとは思わないかね?
さらに、ギャンブルより酷いのはその結果が一生付きまとうことだ。男児を産んでしまったら私は虐待親になってしまうだろう。とんでもない奴だ。



④別にこの世を素晴らしいところだとか思わない

趣味というささやかな楽しみを見つけて生きている人間だ。両手を上げて「人生は素晴らしい!この世は素晴らしい!全てに感謝する!」なんて言えるおめでたい人間ではない。常に希死念慮がある。ふっとしたことで死にたくなるし、実際自殺しようとしたこともあるし、交通事故にあった時は「やったぜこのまま目を閉じれば死ねる!」と思った。結果は歯が一本折れただけだったけど。

そんな世界に最愛の子どもを連れてきたいと思う?私は思わない。

子どもたちはこの世に誕生する前に赤ちゃんの国みたいな、天国的なところにいると言う人がいるけれど、それならば楽園にいたほうが良くない???こんな苦しい世に生まれさせられるとかかぐや姫かよ。なんの罰だよ。赤ちゃんは罪を犯してないのにさ。



障がい者を産みたくない

優生思想だ!と言い批判するならご自由にどうぞ。そもそも子どもを産むつもりないので私がこう考えても優生思想でもなんでもないと思いますがね。

ただでさえも大変な子育てなのにそこにさらに障がいを持って産まれたら?もう大変では言い表せなくなるだろう。しかも自分自身がそうであるように、世間も「障がい者」への偏見と差別は根強い。あるきょうだい児さんの告白を見たことがあるが、もう心が痛くなる。その人はヤングケアラーとして酷使され、この世を憎んでいるとまで綴っている。

「健常者」でもしんどい世の中に、なぜ初っぱなから枷をつけた状態で世に送り出さなければならないのだ。そんなの絶対やだね。

優生思想だ、と怒ってくる奴は何人も「健常者」が享受している権利を全て得られる世の中にしてから怒ってくれよ。




⑥母体へのダメージが半端ない

脳は萎縮するし内臓押し上げられるしホルモンバランスめちゃくちゃだし最悪死ぬし。

絶対嫌なんですけど。男は出すだけなのになんの罰だよ。他の生き物と同じく「出したら死ぬ」くらいになれよ、と思ってしまいますね。




だいたいこんな理由が主にあげられる。同じぐらい真剣に子どもがいるメリットも考えているがパッと思い付かない。

老後の世話?いやいや、してもらおうなんて烏滸がましくないか?子どもの人生に干渉するな。

老後が寂しい?いやいや、子どもいても嫌われて絶縁されていたり病院のお見舞い来てくれなかったりするぞ?子どもは確かに自分から産まれ自分の遺伝子を半分持った人間だが「自分」ではない。「他人」だ。なぜ無条件で仲良くなれると思うのだろう。兄弟だってそうじゃん。同じ人から産まれて同じ人から遺伝子もらってるけど全然違うじゃないか。なぜ子どもには適用できないのか。



1人で生きていく覚悟はあったがパートナーと2人だとより楽しいことがわかった。私はその人と生きていきたいだけであって、子どもが欲しいから結婚するんじゃない。

私は1人でも幸せになれるタイプの人間なんですわ。

伯母を訪ねて三千里【アメリカ・ボストン/ニューヨーク編③】



 

2017/03/26

 

それではボストン観光に参りましょう。

起きたのは7:30頃で、伯母さんにびっくりされつつ、けど朝ごはんに丁度いい時間ね!ということでボストン市内で食べることになりました。

 

伯父様の運転する車で市内に向かいます。日本とは運転席が逆です。そして余談ですが、アメリカの車のナンバーは州ごとらしく、伯父様の車は「マサチューセッツ」ナンバーです。マサチューセッツは都会・高学歴・歴史が長いなど、かなりステータスが高いです。そんなマサチューセッツの人々は、普段は穏やかなのですが、「マサチューセッツ」以外のナンバー(例えば「フロリダ」とか?アメリカでも田舎と言われるところ)を見かけると、煽り運転するようです。実際、めちゃくちゃクラクション鳴らされてる車はマサチューセッツナンバーではなかったです。


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112311j:image

↑ボストンの鉄道。サウスステーションという一番大きな駅

 

駅を見つけたので寄らせてもらいました。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112326j:image

 

かっこいいですね。こんな素敵車両とツーショットもとってもらいました。

今後、この鉄道には大変お世話になります。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112407j:image

↑右にいるのは伯父様。子煩悩なイケオジ。

 

この時点で街並みが素敵なことがよく分かりますね。

もちろん、オフィス街もあり、現代的なビルが立ち並んでいますが、旧市街もそのままを保っており、現代と歴史が調和しています。例えるなら京都ですね。烏丸~河原町あたり。似ている気がします。

そんな話を伯母さんにすると、「ボストン市と京都市姉妹都市なんだよ~」と帰ってきました。 さすが。

ちなみに京都市はほかにも

等々、歴史ある都市と協定を結んでいるそうです。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112432j:image

↑中華街入り口

 

伯母さんの勧めで、朝から飲茶をすることになりました。遠慮はいらないとのことでもりもり食べました。とりあえず有名なものは全部食べた気がします。

エッグタルトが美味しかったので、お持ち帰りさせてもらいました。

アメリカのいいところは、さまざまなレストランで食べきれなかった分はお持ち帰りボックスに詰めて帰れるところです。

「フードロス少なそう!!」と思ったのですが、そうでもなさそうなことが後々判明します。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112445j:image

↑お持ち帰りのエッグタルト。これほんとに美味しかった。

 

 

お腹をたぷたぷ言わせながら街歩きを再開します。


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112506j:image

↑歩行者信号のボタン。押すと「wait!!」と言うのだが、何回聞いても「ヴェッ」という蛙が潰される音にしか聞こえなかった。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112531j:image

↑ボストン中心の大きな公園。広すぎた。

 

公園もアメリカンサイズです。

そしてまだ雪が残っていますね。気候的には札幌に似ている気がします。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311115348j:image

↑あ、リスだ!!!

 

野生動物に触ってはいけません。例えどんなに可愛くても。エキノコックスとかエキノコックスとかエキノコックスとか、とても恐ろしいものを持っています。

触ってた観光客っぽい家族……大丈夫かな。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112558j:image

エーコン通

 

ボストンと言えばこのエーコン通です。よくポストカードにもなっています。赤レンガの建物と石畳が素敵。この辺りの区画は昔からアメリカに住んでるかつお金持ちの人が沢山いるそう。いわば貴族の街ですかね。

道を聞いたランニングウェア姿のマダムはここに住んでるんだそう。すごいな。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112627j:image

↑素敵of素敵

 

エーコン通を後にして公園に戻ってくると、伯父様が「せっかくだし街歩きツアーに参加しなよ」と提案してくれたので行くことにしました。

公園発、1800年代の服装をしたおじさんが「俺が生きていた時のボストンの話をするぜ!」というコンセプトで語りまくる劇場型の街歩きツアー(all English)。

もちろんここでも「中学生のちっこい子がいる!日本から来たの??すごいね!」と言われました。

 

それではハイライトをご覧ください。


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112658j:image

↑青い空に映える


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112736j:image

アメリカの英雄たちが眠るお墓


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112811j:image

↑白い建物は逆に珍しい


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112834j:image

↑謎の像


f:id:tamanegi_onion1948:20200311112908j:image

↑これ州議事堂だった気がする

 

最後にチップを渡し、一緒に写真をとってもらいました。素敵笑顔のおじさん、まだやっているのでしょうか。

 

ここらでお昼時です。

お昼は私のリクエストでロブスターを食べることになりました。ロブスターです(2回目)。

ボストンはロブスターが有名だそう。

 

「大きいの食べな!」と言われましたが、生け簀のロブスターを見て中ぐらいのにすることにしました。十分大きい。いや、大きすぎるぐらい。


f:id:tamanegi_onion1948:20200311121035j:image

↑これに日本だとサイドメニューとして成り立つ量のポテトがつく。

 

アメリカ人の体が大きい理由が分かった気がしました。だってこれにさらにポテトを注文してるんだもん。

ポテトは食べきれなかったのでお持ち帰りです。ロブスターは意地でも全部食べました。


f:id:tamanegi_onion1948:20200311121413j:image

↑ごちそうさまでした。地元で評価の高いレストランらしい。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311121515j:image

ボストンは港町です。確か海上に浮かぶ博物館が有ったのですが、行った時は改修工事中でした。今度行くときは訪れたいですね。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311121708j:image

クインシー・マーケット。ボストンでも最大級の市場。今度は食べ歩きしたい。

 

さてさて、次の目的地に向かいます。ここで伯父様とは一旦別れて、伯母さんとデートです。うふふ。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311122030j:image

↑おや?おやおや?

 

ボストンと言えば!ロブスター!クラムチャウダー!そしてボストンクリームパイ!

最後のは何だ???となったでしょう。

この「Omni Hotel」が元祖のとんでもカロリー爆弾です。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311122228j:image

↑こんな感じのケーキ

 

一人用ホールケーキと言っても過言でないこのスイーツ。ぜひ食べたかったのです。

紅茶とボストンクリームパイを頼んで待機します。


f:id:tamanegi_onion1948:20200311122347j:image

↑さっき通ったところっぽいな???

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311122420j:image

↑自分の好みの濃さで淹れることができる。

 

紅茶を飲みながら待ちます。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311122330j:image

↑元祖ボストンクリームパイ。

 

……いや、クリーム多いな!?!?!?

表の写真はそんなじゃなかったぞ。

 

面食らってる私に「ケーキと苺だけ食べな~、クリームはいいよ」と伯母さん。大人しく従う私。

 

誤解なきようお伝えしたいのですが、ケーキは甘さ控え目で、スポンジも柔らかく、上のチョコレートの苦味がケーキとの相性抜群で美味しかったです。

そこで気づきます。日本人が「美味しい!」と感じる甘さはアメリカ人には「全然甘くないわ!」レベルで、そこで「甘いクリームをつけろ!」とクレームがあったんではないでしょうか。クリーム有り無しが選べるといいな。

(ケーキと苺は)ペロリと平らげました。このあとさらにカップケーキも食べます。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311155103j:image

なんかかっこいい像あった。

 

街をお散歩しながら帰ります。


f:id:tamanegi_onion1948:20200311155543j:image

車多いな。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200311155624j:image

教会。りっぱですね。

 

うろうろしていると、カップケーキのお店を見つけました。


f:id:tamanegi_onion1948:20200311155713j:image

わぉ、カラフル。

「Georgetown cupcake」というお店だったと思います。ほんとはニューヨークにある店舗に行こうと思っていたのですが……まさかボストンにもあるとは思っておらず……


f:id:tamanegi_onion1948:20200311155944j:image

 

まぁでも食べますよね。桜を型どったトッピングが可愛かったのでこれにしました。

後日、ニューヨークで当時流行っていたっぽい「ベルベットケーキ」を食べます。

甘さ控え目(アメリカ比)なので、おすすめです。

 

 

 

日も傾き始めたのでこの辺で街歩きは終了して、伯父様に迎えに来てもらいました。

次の日はボストン美術館に行きます。

 

 

 

続く

 

 

伯母を訪ねて三千里【アメリカ・ボストン/ニューヨーク編②】






f:id:tamanegi_onion1948:20200308085408j:image

↑「Fish or Beef??」「Beef!!!」の結果

 

早速の飯テロすみません。

搭乗時間が晩ごはん時だったので、飛行機が安定したら早速機内食のお時間でした。

機内食といえば、高校時代の修学旅行で同じように「Fish or Beef ??」と聞かれ、「Fish」と答えた結果、油ぎとぎとのとんでもない魚フライがついた機内食が出て来た反省から、ビーフしか答えない、と心に決めた苦い思い出があります。

 

さすがJALさん、美味しいです。日本発の便のご飯は美味しいです。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200308105810j:image

↑朝焼けの景色

 

日本からアメリカへは太平洋を横断して行きます。日付変更線を跨ぐときにアナウンスがあり、うとうとしていましたが起きてパシャパシャ写真を撮っていました。

太平洋を渡っているときの景色はずっと海で退屈に感じるかと思いましたが、ちょうど睡眠時間と重なったため、海の上の間はずっと寝ていました。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200308111943j:image

↑航路図。ロシア語表記にして遊んでた。

 

国際線の機内は快適です。座席に画面が付いていて、ドラマや映画をみたり、ゲームをしたりできます。

当時、話題となっていたけど見逃していた「 LA LA LAND」がありましたので、せっかくなので観ることにしました。もちろん、これからアメリカに行くので字幕です。リスニングして耳を英語に慣らそうという魂胆です。

もう内容は忘れてしまいましたが、高速道路で踊り出すシーンと、ヒロインがスターになっていく様がとても清々しかった記憶があります。(間違ってたらどうしよう)

 

映画を見終わってもまだまだ時間はあります。が、ここで遂にトイレに行きたいという生理現象が……

 

ふと横をみるとあの外国人はいません。3列シートには私しか座っていません。

 

今だ!!

 

……なんとか無事、行くことができました。帰ってきても居なかったので楽々座席につきました。


f:id:tamanegi_onion1948:20200308111946j:image

↑軽食。成田~ボストン便では3回機内食が出る。おやつとして出たクリームパンは、中身のクリームが凍っており、アイスパンという新感覚のお菓子になっていた。

 

ボストンに着陸する一時間ほど前だった気がしますが、軽食が振る舞われました。

JALさんとスープストックトウキョウさんのコラボです。長いフライトで少しお腹の調子が悪くなり始めていたところに、温かいスープが沁み入りました。たしかクラムチャウダーだった気がします。これについては、伯母さんが「機内食で一番美味しい!!」と太鼓判を押していました。凝った料理ももちろん美味しいのですが、こういうスープがやはり長距離移動には適していると思います。多分、海軍カレーも実際に船で過ごしていると最高のご馳走なんでしょう。そんな気がしました。

 

さて、そろそろ到着のようです。日付変更線を越えた時に合わせた時計をもう一度見、つい頬が緩みました。

この飛行機は成田を

2017/03/25 18:30

に飛び立ちました。

ボストンへの到着予定時刻は

2017/03/25 18:00

です。なんと、30分もタイムスリップしたことになるのです。しかも過去に。

"日本時刻"ではないので、タイムスリップと言えるのか少し怪しいですが、このちょっとした不思議体験に当時の私は大興奮でした。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200308112014j:image

↑ボストン到着。多分写真撮ってよかった区域。

 

飛行機を降り、入国審査に向かいます。

私を担当してくれたのはアフリカ系のおじいちゃんでした。

さすが入国審査官、小娘にも容赦なく厳しい視線を投げ掛け、パスポートと入国カードを確認します。

お馴染みの質問「 アメリカに何しに来たの 」を「観光です」と即答し、どぎまぎしてたとき、おじいちゃんが入国カードの一点に目を止めてこう質問してきました。

「君、どうしてここに泊まるんだい?」

入国カードには、宿泊先の住所を記入します。多くはボストン市内のホテルを書いてあるので「~, Boston, MA, USA」と末尾に書いてあると想定されますが、私は伯母さんのお家に泊まるので、「Boston」の部分がボストン郊外の小さな町の名前だったんですね。うん、たしかに気になります。英語も拙いアジア系の小娘(アメリカ人目線)がこんなところに行くなんて想像できません。

(ちなみに、特に東アジア人は実年齢マイナス7歳くらいだと思われるそうです。)

私は(え、そんなこと聞くの???)と焦りながらも「伯母がそこに住んでるんです」と答えました。するとおじいちゃんはめっちゃ笑顔で「いいね👍」と言って入国スタンプをバーンと押してくれました。さらに「良い旅を!」と見送ってくれました。おじいちゃんの白い歯が輝いていました。出会った素敵アメリカ人1人目です。

 

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200308112056j:image

↑ボストン空港にあったピタゴラスイッチ

 

ロストバゲージもなく、無事たどり着きました。やはり、といいますか、こっちで暮らしているであろう日本人男性が妻と子供を迎えたり、日本に配属されていた旦那を迎える妻やその子供などが歓びの声を上げているなど、幸せいっぱいの光景が広がってました。

 

そんな中、1人の女性が手を振ってるのが見えました。そうです。伯母さんです。無事会えました。そして早速、褒め言葉の応酬です。伯母さんは嫌みなくさらっと人をめちゃくちゃ褒める天才なので、会うたびにめちゃくちゃ褒めてくれます。1人で入国審査をこなせたことをめちゃくちゃ褒めてくれました。

 

駐車場で伯父様とも合流し、家に向かいます。いとこの自室を貸してくれるそうです。

いとこ曰く「そんな10日間もおっさんおばさんに囲まれてて退屈じゃないの???」と。私を心配してくれているんだよ~とのことでした。

 

初日は移動で疲れたのでそのまま寝ることにしました。観光は次の日からです。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200308112142j:image

↑伯母さんのお家のお庭。すごく広い。そしてポストが遠い。

 

 

 

続く

伯母を訪ねて三千里【アメリカ・ボストン/ニューヨーク編①】

大学生になったら、ロシアのサハリンを旅したいという願望がありました。

そのために、第二外国語はロシア語を履修し、演習で(なんとか意思は伝えられそうな程度の)会話と発音を身に付け、いざ行かん!としたところ。

 

母「え、初の1人海外だから親戚の居るところにして」

 

たった一言で撃沈しました…ちゃんちゃん。

確かに、20歳になってない娘を海外に1人で行かせるのは親としては心配なことでしょう。人生初の海外であるシンガポール/マレーシアは高校の宿泊野外(修学旅行)で行きましたし。やっぱり生徒360人+教師+看護師と、19歳日本人女性1人では安心感が全く違います。これで何か事件に巻き込まれ、「ほら言わんこっちゃない!」と言われてしまうと、今後の旅にも影響するので、ここはおとなしく従うことにしました。

 

ではどこに行くか、となると。母が出した条件は次の通りでした。

  • 親戚や友人がいる
  • 日本から直行便が出ている
  • 治安がいい

この3つを満たす場所なんて、1つしかありません。

 

そうです。ボストンです。

 

ボストンには父方の伯母夫婦が住んでおり、成田から直行便が出ています(JALさんありがとう)。治安も比較的いいでしょう。

母も賛成、伯母夫婦に連絡したところ大歓迎でした。

 

大学の期末試験が終わってから、ボストンのガイドブックを買って情報を集めたり、ネットで検索したり、伯母さんに地元で有名なものを聞いたり。

 

札幌から成田を経由してボストンへという三千里の長旅です。

 

準備万端!で、ボストンに向かいました。が。

 

誤算は、その前日に部活のお偉いさんたちと飲み会があったことです。(お高いイタリアン食べさせていただいたので良かったですけどね!!!)

新千歳空港への終電(普通列車)に飛び乗り、誰もいないお店も空いてないがらんとした新千歳空港を突っ走り、宿へ滑り込みました。

 

室内に入った感想は、

 

ひ、飛行機が見える…!!

(そういう部屋を取ったので当たり前)

空港のホテルはこういうところに醍醐味がありますね。

明日も早いので部屋を物色するのもそこそこに寝ることにしました。

 

(次の日の朝ごはんはビュッフェ)

(……あんまり美味しくなかった記憶があるなぁ)

 

さて、成田へ向かいます。

ボストンへの便は18:30発ですが、成田に着いたのは10:00……

 

はて、何をしましょうか。

 

とりあえず成田空港を物色することにしました。荷物が重たいのであんまり空港外に観光しに行きたくないと思ったのです。(今思えば夢の国に行けばよかったのでは??と……)

 

とりあえず展望デッキに向かいました。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200307233539j:image


f:id:tamanegi_onion1948:20200307233553j:image

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200307233608j:image

 

やっぱり飛行機はいいですねぇ。

成長してから乗り物が好きになったので、むしろ大きな沼に落ちそうで怖いです。お金を持つって恐ろしいことだぞ…

 

成田の色んなお土産をみたり、ご飯食べたり、スタバで一服したり色々しましたが、やはり八時間の壁は高い。しびれを切らして16:30頃保安検査場を通過しました。

 

ここからがまた長い。

 


f:id:tamanegi_onion1948:20200307233628j:image

↑出発は18:30なのです。乗務員さんもいない。

 

タリーズで休憩してみたり、アイスの自販機でアイス買ってみたりしましたが、やはり長い。結局Twitterを見て時間を潰しました(スマホって便利ですね。)

 

ですが、17:30頃になるとぽつりぽつりと人が増え始めます。日本人が多いですが、ヨーロッパ系やアラブ系の人々の姿も見受けられます。みんな日本に出張しにきてたのかな。

私の歳くらいで1人でいるのは珍しいのか、ちょっと不思議そうな顔で見られました。同い年くらいの子はいましたが、複数人かつ引率の先生っぽい人がいたので、学校行事かなにかでしょうか。他の日本人はサラリーマン風の人、子供と母親…若干の居心地の悪さを感じましたが、そうこうしているうちに搭乗案内が始まりました。

 

座った席は窓側です。やっぱり飛行機の窓から下をながめるのは醍醐味ですよねぇ、と思ってたら隣に座ったのは大柄な外国人。

 

……トイレ行けない……

 

成田からボストンへは10時間。

果たして私は無事にフライトを乗り切れるのでしょうか。

 

 

18:30 成田発

 

 

 

 

続く……

 

 

 

 

 

 

 

 

たまねぎのブログ(はじめに)

大学卒業(まあ、あと2年大学院がありますが)を記念して、大学在学中に行った旅についてのんびり書いていきます。

つまりたまねぎの備忘録です。

10年後とかに見返して、「ああ、懐かしい!」となるのか、「うわぁ、なんて恥ずかしい文を書くんだ!」と、なるかは、たまねぎの文才にかかっています。

それでは、まずはじめに、成人祝いで行ったアメリカ旅から書きましょう。